新事業開拓室 兼)ISS利用運用部 岡田 久仁子
歩みの中で、自分自身に刻まれたもの。
歩みの中で、 自分自身に刻まれたもの。
岡田久仁子の入社は1997年。まだ「ISS」の建設も始まっていなかったころだ。「宇宙ステーション計画がある」「これまでにない、超大型国際プロジェクトだ」という言葉に惹かれて、JAMSSに入社を決めた。「そのプロジェクトに自分も参加できる」ことにわくわくしたからだった。
入社してすぐ、実験運用業務に従事した。「きぼう」の実験・運用について、手探りで組み立てていく、そんな経験だった。そこから岡田のキャリアが始まり、実験運用業務に携わり続けた。岡田のキャリアは、日本の有人宇宙事業の実験運用と共に刻まれてきたといっても過言ではない。
25年が経ち、同期たちと同様に部下を抱える立場となった。
たくさんの人からもらい、 受け継いだもの。
「様々な相談を受けることが増えました。中にはキャリア転向やプライベートの相談もある。いつも話すのは『やりたいことを見つけたら、それを選びなさい。その選択は全力で応援する。ただし、いやだという理由で別の道を選ぶのはよくない』ということ」
ただ、自分がやりたいことを選んできたかというと、そうではなかったけれど、と岡田は苦笑いする。「種子島での実験準備に参加しないか」「新規プロジェクトに入らないか」と、いつもチャンスは向こうからやってきた。「NOをいわない。与えられた仕事で必ず成果を出す」と決め、取り組んできた。
「壁にぶつかることも多く、人並みに辞めたいと思うこともありました」
でも、辞めることは選ばなかった。JAMSSのメンバー、そして出会った人たち、その言葉が支えてくれたから。
ある時は、NASAで出会った大先輩の女性の言葉に勇気づけられた。
「私は女性の方が、管制官に向いていると思う。だって、女性はいつもマルチタスクで生活しているでしょ。仕事、家事、育児。複数のことをいつも考えなくてはいけない管制官に向いているのよね」
その言葉は、そのまま女性として、そして管理職としてキャリアをどう歩むか考え続けていた岡田に、新たな視点を示してくれた。
またある時は、JAMSSの先輩たちの話に勇気づけられた。苦労の上に成り立つ彼らの偉業。それを礎に、自分の仕事が成り立っていると、確かに感じられた。「多くの人に支えられ、繋がっている。この先は、自分の仕事が、たくさんの人に繋がっていくはず。もっと自信を持っていいのだ」と思えた。
「宇宙事業に関わるなんて素晴らしいですね」といわれることに岡田は違和感を覚える。
「宇宙に関わる人が、素晴らしいのだ」と思うのだ。宇宙に関わる、岡田が知り合った人はみな、夢を追っていた。誰もが、いつも前を向いていた。未来を見つめていた。だから、今の宇宙事業がある。そんな人たちと支え合って仕事ができる。そのことが素晴らしいのだ、と岡田は話す。
未来へ繋ぐこと。新しく生み出すこと。
未来へ繋ぐこと。 新しく生み出すこと。
2022年から、新事業開拓室の室長代理を命ぜられた。JAMSSの次の柱となる事業を作るチャレンジだ。JAMSSが「きぼう」で培ってきた有人宇宙事業のノウハウを活用し、また、民間企業の宇宙ビジネス参入を促進する。わくわくすると、岡田は話す。諸先輩と自分が築き上げたものを、次に繋ぐ仕事だから。まだ誰もやったことない、チャレンジだから。
「これまでのキャリアを活かし、社内外問わず出会ってきた人を巻き込んで事業を開拓する。きっと面白いですよ。未来のJAMSSを動かしている、そんな実感がもてるんですから。」
そう言って、岡田は大きく笑った。
1997年新卒入社
専攻:地球惑星科学専攻
「宇宙飛行士の若田光一さんと母校が同じというのも、何かの縁だったのかも」と話す岡田。「入社した1997年は、JAMSS創立から7年。他業界からの出向者も多く、まだ独自のカラーはなかった。当時からは女性比率も増え、働きやすさも向上した。今後は女性男性を意識するのではなく、誰にとっても働きやすい環境を作って行くことが重要。その一端を担わねば、と私も意識しています」